【佐藤 優子先生】 仕事: 地域全体をケアする / 家庭: 子供が困った時にそばにいられる余裕を持つ
総合医になったのはなぜですか?
私は生まれも育ちも東京で、当初は小児科医になりたいと思って日本医科大学に入学しました。5年生の時たまたま僻地診療所(愛知県作手村の名郷直樹先生)で実習を行い、患者さんの人生を支える診療所の仕事に魅力を感じ僻地診療所を志すようになりました。僻地診療所で働く医者を育てている地域医療振興協会の初期研修・専攻医期間中、日本全国の様々な僻地診療所・中小規模病院での研修の機会がありました。特に岐阜県郡上市和良(後藤忠雄先生)での3ヶ月間の地域医療研修が、地域全体に関わる「仕事」も田舎での「生活」も楽しかったので、総合医、その中でも地域全体をケアする僻地診療所の医師になりました。
なぜ浜田市国保診療所連合体で勤務を?
夫(佐藤誠)も私も専攻医を終え家庭医療専門医を取得した当時、長男3歳、次男妊娠中でした。長男が小学生になる前にどこかの地域に落ち着きたいと思いました。夫は千葉、私は東京の出身なので、僻地で働くなら日本のどの地域であっても実家から遠いのは同じこと。ただ、しばらくは夫・私合わせて2人分の働きはできない。1人分→1.2人分→1.4人分→1.6人分(現在)と子どもの成長に合わせて勤務形態を変えていけるよう、僻地診療所群でグループ診療をしているところを探しました。(続きは佐藤誠先生の記事参照)
現在
今年度で浜田に来て9年目、診療所長になって4年目です。これからもゆっくりですが着実に総合医として成長していきたいと思います。
波佐診療所を取り巻く環境
昨年、自治会さんが中心となって「無償ボランティアタクシー」の運行が開始されました。地域の高齢者等の生活に欠かせない外出(自宅から波佐診療所や金融機関など)を支える仕組みを住民のみなさまで構築されました。「無償ボランティアタクシー」開始前には法律の理解を行政担当者が助け、開始後には利用者とドライバーのマッチングを公民館職員が担っています。波佐診療所は地域の高齢者の生活の様子を知っているので、何が必要かを伝える役割を担っています。こうした必要とされることが目に見え、そしてそれを達成するために協力できる事が顔の見える地域の良さだと思います。
モットー
・地域全体をケアする(仕事)
・子どもが困った時、つまずいた時にそばにいられる余裕を持つ(家庭)
私の1週間
- 週3日勤務で波佐診療所長をしています
- 火・木・土はグループ内の他の医師が診療を担当
- グループ診療で訪問診療患者さんを中心に24時間365日対応
- グループのリーダー(阿部Dr)が診療所長を任せてくれること、診療所スタッフと住民さんの理解・応援があることに感謝
- 火・木は休み
- 日中は勉強・小さな研究等 夕方子ども(小学生と中学生)帰宅後は家事等
【略歴】
1979年 東京都葛飾区生まれ
2004年 日本医科大学医学部医学科卒業
2004年 地域医療振興協会入職
初期研修(横須賀市立うわまち病院、国保和良診療所 等)
専攻医「地域医療のススメ」(市立恵那病院、飯塚市立病院、湯沢町保健医療センター 等)
2012年 家庭医療専門医取得
2013年 地域医療振興協会退職
2014年 浜田市国保診療所連合体(波佐診療所)入職
2018年 浜田市国保診療所連合体 波佐診療所所長
現在に至る
【取材者より】
波佐診療所では、来られた医学生・研修医の先生方の医師を志した理由からお聞きし、目標設定をされています。こうした活動を紹介したいとのことで、今回のGP storiesへの投稿を快諾いただきました。これからも発信のお手伝いをさせてください。
遠藤