地域だけではない、大学だけでもない、持続可能な成長をし続けるための総合診療ニューラルネットワーク

NEURAL GP network 島根県発・総合診療医養成プロジェクト

【遠藤健史先生:朗らかに働く・誰からでも学べる】

なぜ医師を志したのか
私は、中学の頃から、体のあちこちが痛み、だるく、それを部活で鍛えることで克服しようとしましたが、なかなか改善しませんでした。この過程で、整体師や理学療法士さんにお世話になる事がありました。
高校生の時には、体を元気にする人になりたくて整体師や理学療法士を目指していました。そこで、リハビリテーション病院を見学したのですが、「様々な職種と関わり、広い視点をもつのであれば、医師になる方がよい」とアドバイスをいただいきました。学力的には到達が難しそうで悩みましたが、下記のきっかけがあり医学部を目指すこととしました。

ターニングポイントは?
高校卒業後、浪人しているときに、小学生時代のバスケットボール部の恩師に悩み相談に行きました。場所はバスケットボール大会の会場で、「君のしたいことをしなさい」という言葉をいただきました。そして、その会場内を歩き回っていたところ、地元の中学生が、なぜか大喜びしていました。それは、なんと彼らが全国優勝する瞬間だったのです。恩師の言葉に加え、不可能を可能に変えた地元の中学生を見て、彼らのように挑戦しようという気持ちになりました。
受験勉強は大変でしたが、親の支援、良い塾に恵まれ自治医科大学に入る事ができました。

地域活動
現在、地域の小学生のサッカーコーチをしています。大東jfcというチームで、子供の成長を見守る、とても良いチームです。高校の頃からサッカーが好きで、大学の時にフットサルサークルにも入っていたことから、勇気を出してコーチを始めてみました。子供は放っておいても成長するという考えもあると思いますが、より良い手法や仲間も必要なのだと学ばせていただいています。

研修時代の思い出エピソード
医師として勤務を開始し3ヶ月、何もできない自分に直面した7月1日のことは忘れられません。「医師に向いてないのかな」と一人で救急外来診察室に座っていたところ、1つ上の先輩が「今日は終了」と声をかけてくださり、切り替えられたのを覚えています。今も、自分でなんでもできると思わず、周りの方に助けてもらうよう心がけるきっかけとなった思い出です。

島前病院「痛いのはよくない」という言葉に出会う
自治医科大学を卒業し、医師3年目は、隠岐病院で内科系総合医として働いていました。圧倒的に優秀な消化器内科と救急医療を志す先輩医師に憧れ、当初の整体師を目指していた気持ちから離れ、命を救う技術をきちんと持ちたいと思うようになっていました。
ただ、医師4年目に隠岐島前病院に赴任し、白石吉彦先生が、「体が痛いのは良くない」と言っておられたのを聞き、初心に返る思いがしました。「自分にはできて、他の人はしなくて、社会的に価値があることをしたい」とも言っておられ、これが私の活動の指針ともなりました。私は、「他の人はあまりしない」整形内科を島前病院で学び、これを活かして、寄りそ医*として頑張ろうと思うようになりました。
その後、島前病院で、他に自分に出来る事は何かないかと考えるようになりました。そこで、せん妄対策、ユマニチュード®の導入にチャレンジし、それが今の地域医療の活動に活かされています。

*「寄りそ医」:名田庄村診療所の中村伸一先生の、極める医療から寄りそう医療まで、医師には学ぶべきフィールドがたくさんあることを示すお言葉です。

現在の仕事について
地域で働くと、全体が見え、人と人とが繋がり、予想もしなかったことが生まれることがやりがいです。邑智病院では摂食嚥下に関わる活動の立ち上げに関わり、雲南市立病院では新型コロナウイルス担当の役をさせていただきました。奥出雲病院では、鈴木賢二院長の構想の下で、医療福祉だけでなく健康づくりの視点で自由に活動させていただいています。役場との連携や、在宅診療センター立ち上げ、看護部・リハビリテーション科・栄養科と連携して各地で学んできたことを活動に取り入れています。その地域で必要とされている事を観察し、仲間を作り実践していく事が非常に楽しいです。

総合診療医の強み・専門性・やりがい
総合診療医は、どの分野の医療も扱えるという感覚をもつことができます。疼痛+うつ病、糖尿病+感染性心内膜炎、細菌性肺炎+心不全、尿路感染症+誤嚥性肺炎など様々な病気を同時に発症する事があります。愁訴を抱える患者さんの方針を立てるときに、科の垣根を越えて全身を診ることができていると感じています。

取材者より】
常に地域で求められている事に応えようとするその姿勢が先生だけではなく、周りの人も動かす原動力になっているのでしょう。島前病院で勤務しているときには島にいるときは常にonの状態でしたが、それが全く苦にならなかったという先生。相当なメンタルの持ち主である事が伺えます。今の先生はなんでもそつなくこなしてしまうスーパーマンに見えますが、今回の取材で、誰にでもスタートがあったのだと感じました。
ちなみに先生は自身で、まんだらエンディングノートの講習会を受け、最終目標は「銅像になる」という事になったそうです。先生なら本当になれるんじゃないかと僕は思っています。
上野伸行

遠藤先生を一言で表すと
アグレッシブに自分の信じた道を突き進める人